好奇心を原動力とする研究

ワイツマン研究所・所長・Daniel Zajfman博士によるキーノート講演
2018年9月11日、ヘルムホルツ協会・年会にて
翻訳:宮川剛, 内村直之(Supported by DeepL)

翻訳者まえがき

ワイツマン研究所・所長・Daniel Zajfman博士によるご講演の日本語への翻訳をさせていただいた日本版AAAS設立委員会・研究環境改善ワーキンググループ・委員の宮川です。私は心理学、脳科学を専門としておりますが、ここしばらく、「好奇心」や「探索」に興味を持っておりまして、先日、「好奇心」というキーワードでいろいろとGoogle検索を行っていました。そうしたところ、ワイツマン研究所のDaniel Zajfman所長の”Curiosity-driven research”(好奇心を原動力とする研究)と題されたドイツのヘルムホルツ協会での基調講演を文字起こししたファイルに出会うことができました。

このご講演の中でZajfman先生は、科学に資金をどのように投資すればよいのか、についての戦略を、世界トップレベルの研究所を運営する所長の視点から、平易な言葉でわかりやすく説明されています。たいへん面白い内容で、読み始めるととまらず一気に読んでしまいました。感銘を受け、また共感しましたので、Zajfman先生に、日本版AAAS設立準備委員会の趣旨の説明と、日本語訳を日本版AAAS設立準備委員会のウェブサイトに掲載するご承諾の可否を問い合わせる旨を記したメールをお送りしました。駐日イスラエル大使館のサポートもいただきつつ、Zajfman先生より日本語訳のウェブサイトへの掲載についてご快諾いただくことができ、こちらに掲載する運びとなりました。

内容についてですが、本文をご覧いただいたほうが早いはずですので、要約による紹介文は省略させていただきます。少し長くはありますが、たいへんわかりやすく、興味を引くような構成になっていますので、皆さまも一気に読むことができるはずです。

このお話は、日本の科学研究に投資をする立場にある方々(行政に関わる方々や産業界の方々)、日本の科学を牽引されている指導的立場の研究者の方々、一般の市民の方々などにご覧いただきたいと翻訳者としては希望しています。もちろん、科学に関連した仕事をされている方々、これから科学関連の仕事につきたいという若い方々にもおすすめです。できるだけ多くの皆さんにご覧いただき、日本の科学のあり方についての議論をこれから行っていく上で、素材の一つにしていただけますと幸いです。

なお、以下の文章の中の小見出しと、太文字は、翻訳者がつけたものになります。


好奇心を原動力とする研究

ザイフマン先生の挨拶

親切なお言葉、ありがとうございました。そして、この印象的な会議に、そして印象的なヘルムホルツ協会にお招きいただき、本当にありがとうございます。ワイツマン研究所はヘルムホルツ協会と多くのつながりを持っています。両者の相対的な規模を考えると、皆さんもご存知のように、ワイツマン研究所は非常に小さな研究所です。まだ貴協会が新規にメンバーを募集しているという事実を考えますと、私達の研究所を加えていただくとよろしいのではないでしょうか?そうすれば貴協会にきっと「何か」が加わることになるでしょう。ヘルムホルツ協会の価値と質を考えますと、その案について私は反対しません。

何を科学研究の選択肢とする?

今回お話ししたいのは、科学研究の戦略についてです。研究機関と科学者たちの活動を運営するとき、私たちは常に 「どこに重点を置くべきか?」と自問しなければいけません。お金を持っている方々であれば、「どこにお金を投資すれば良いのか?」という自問になるでしょう。私たちのすべてが欲しい何か、究極的には人類の利益のためになる何かを得るために、科学研究が何らかの形で前進していくためには、どのように投資をすればよいのでしょうか?

なぜそのように自問するかといいますと、「人類の利益のため」、これこそがまさに科学研究が目指すものだからです。もちろん、それには多くの戦略がありえます。どのテーマに投資すべきかを決める必要があるとしたら、私たち全員が同意できるような単一のトピックはないと思います。理由を申し上げましょう。科学は、病気、技術、生態系、気候変動など、生活に関わる実にたくさんの種類の問題を扱うことができるのですが、実際に変化をもたらすことができるトピックは非常に多く、どのトピックに投資するかを決めなければならないような場合でも、テーブルについている関係者全員の意見が一致するような一つのトピックがあるとは思えません。それを決めることができるのは、もちろん国や資金提供団体の特権ということになるわけです。

それでも、私がお示したいのは、一つのトピックを選ぶ、という選択肢とは別の選択肢が常に存在するということです。この選択肢は何百年も前から存在していたのですが、ここ数十年ほどなぜか脇に追いやられていました。それは、「好奇心を原動力とする研究」という選択肢です。単一のトピックを選ぶのではなく、一つの科学の領域を選ぶのでもなく、むしろ、科学者を選ぶ、という選択肢なのです。皆さんに思い出してほしいのは、科学的な発見は研究室で行われるものではなく、究極的には、科学者の脳の中で生じるということです。科学の物事が起こるのはそこなのです。

未来の予測は難しい……

だから、私の講演のタイトルは「好奇心を原動力とする研究」なのです。それは本当に面白い戦略なのか、という疑問をもちろん皆さんはお持ちになるでしょう。私たちが技術の未来を予測する能力をどれくらい持っているのかについて思い出していただくために、例を皆さんにお示ししましょう。

1895年に著名な物理学者が「空気より重い空飛ぶ機械は不可能だ」と強弁しました。それはもちろん、飛行機という発明が世に出る数年前のことでした。同じことがまた最近も起こりました。今から少し前のこと、現代の技術の話として、当時IBMと競合していた非常に有名なコンピュータ企業であるデジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)のCEO兼会長であったケン・オルソンが、「将来、誰もが自宅にコンピュータを置きたいと思うようになる、と考える根拠は存在しない」と言い切りました。1977年のことですが、私がオフィスにパソコンを置いたのは6年後の1983年でした! この事実こそが、その会社が消えた理由なのです。

こういった例をもっと出してもいいのですが、ここで言いたいことはこうです。「予測をするのが難しいのは長期的な未来だけでなくて、見ての通り、短期的な未来の予測すら難しい」。インターネットについて1990年にどうだったか考えてみてください。インターネットの市場が今日、数兆ドルではないにしても数十億ドルの価値となることを、誰かがその頃、本当に予測していたでしょうか?予測した人は誰一人いませんでした。予測を立てるということは非常に難しいことなのです。問題は、もし予測をするのが本当に難しいのであれば、どのように私たちは未来に対する投資を行えばよいのでしょうか、ということになります。

科学者の原動力はなんだろう?

「科学研究」が基本的にどのように機能しているのか、みなさんに少し思い出してもらいましょう。単純化しすぎというほど、非常に単純な方法ですが、これは明確にしておきましょうね。

科学の特定のテーマについて情熱を持って研究している科学者たちからアイデアが生まれるのが通常です。彼らの目的は、「知識の容器」と呼ばれるバケツを満たすことです。これは、すべての科学者がやっていることです。科学者たちは論文を発表します。誰もがどの論文でも読むことができますので、一般的にいえば、論文の発表は世の中の知識を増やすことになります。アイデアによって知識のバケツが満たされつつあるとき、―そのバケツは一人の科学者のものではなく、多くの科学者たちのバケツのどれにも同じ知識が入りますね− そのアイデアは経済の市場にも出てきて、科学者ではない誰か他の人もそのアイデアが非常に良い、と気がつくことになります。実は、それに価格をつける特別の市場さえあるのです。

これらの科学のアイデアを変貌させ、また利用して、先程申しましたように、人類のために何か役立つものにして、市場を創造したり、その市場に何か問題の解決策を提供したりしない手はありません。そのような営みが、もちろん今日私たちが知っている多くの製品につながっているわけです。

人類の歴史を作ってきた好奇心

過去数百年、あるいは数千年の人類の歴史を考えてみますと、人類が行ってきたことはそれほど多くないのに、その中で科学の研究は私たちの生活様式を本当に大きく変えました。何千年か前に私たちがどのように生きていたか、今日の私たちがどのように生きているかを比べて考えてみてください。

私たち人間が、この世界が何からできているのかを理解し、私たちに役立つような具合にその何かを作り変えることができるくらいに、私たちは十分に賢かった、それは十分に好奇心を持っていたからだと気づくでしょう。これこそが科学研究のすべてなのです。

大事な問題は、マーケットを創造できるようになるために、最も初期の段階で、何が科学研究の原動力になるのか、ということでした。そこで、皆さんにお示ししたいのは、私たちが持っているものの中で最も重要なツールは好奇心だということです。なぜなら、先程も申しましたように、「予測を立てるということは極めて難しい」からです。

知らないことを見つけるには……

いくつかの例を紹介することから始めましょう。繰り返しになりますが、私がここで何をしようとしているのか正確でありたいと思っています。米国の国防長官を勤めた政治家ドナルド・ラムズフェルド、をご存知でしょう。彼は科学者ではありません。彼は科学とは無関係なのですが、非常に有名な発言をしました。「既知であると知られているものがある。我々が知っているということを知っているものがあるのだ。」 これは科学にも当てはまります。 逆に言えば「未知であることが知られているものがある。つまり、私たちが知らないということを知っているものがある。」ということです。たとえば、宇宙の暗黒物質とは何でしょう? わたしたちはそれが存在するということは知っているのですが、それが何なのかは知りません。さらに、未知であることですら未知であるものもあります。私たちが知らないということすら知らないものがあるのです。 私が問題にしたいのはこれです:私たちが知らないということすら知らないことを、私たちはどうやって発見すればよいのか?

レントゲンの発見に開発プログラムなどなかった

さらに例を挙げてみましょう。1895年、今から120年以上前にドイツで発見されたX線です。皆さんはX線が何か知っているでしょう。今、X線はとても便利に使われています。 しかし、X線は、何らかの研究開発プログラムがあったから発見されたというわけではありません。存在することを知らないのに 1895年に、どんな研究開発プログラムを作ることができたというのでしょう? 存在するということさえ夢にも思わないものに対して、どうすればお金を投資する決断をすることができるのでしょう? この発見につながる陰極線研究が始まった19世紀中ごろの時点では、放射線が体を通り抜けて、プラスチック版上に骨の写真が撮れるなんて夢にも思わないでしょう。で、研究開発プログラム?どうやってそんなものに投資するのでしょう。

1895年、ウィルヘルム・レントゲンは当時、とても退屈な実験をしていたのです。今でも誰も投資しないような実験でしょう。 彼はガスの入ったガラス容器の中で、高電圧をかけた2つの電極間に流れる電流を測定し、部外者には非常に退屈なグラフを作成していました。私たちが興味が持てるようなものでは全くありません。ある日、彼は研究室で壁に光があるのを見つけたんです。それはキラキラ光っていました。この種の実験は、その時点ですでに20年以上も前から行われていたものであると指摘しておきましょう。彼がこのような実験を最初に行った人ということではないのです。しかし、彼はそこで起こった現象に好奇心を感じた最初の人だったのです。彼が好奇心を感じたのは、実験の結果そのものではなく、彼の研究室で起こっていたことでした。そして、何が起こっているのかわからないときにすべての男性がすることを彼はしました。彼は妻を呼んできたのです。彼女はそれに手をかざし、それは人類が撮った最初のX線となりました。ここに彼女の結婚指輪が見えますね。ここには研究開発プログラムなどなかった、ということを覚えておいてください。この発見を実現するような研究開発プログラムを設定する方法はなかったのです。運が良かったとあなたはおっしゃるかもしれません。ええっと、運がいいというのは実は才能なのです。誰にでも起こるということはありません。 私が言いたいのは、X線の発見を実現するような科学的戦略とか、科学的な研究開発プログラムなど存在しないということなのです。

GPSの背景にあった原子時計、磁気共鳴、そして相対論

X線の発見より少しやっかいな例ですが、もう一つ紹介しましょう。お近くのベルリンからいらした方でない方、たとえば私のような人は、GPS(グローバル・ポジショニング・システム=全地球測位システム)を使ってここに来たのではないでしょうか。それは、住所を入力すれば、あなたを行き先に導いてくれる、とても簡単に使えるツールです。GPSの技術を理解するためには、GPSが、地球の周りを周回し地球全体をカバーする35個以上の衛星をベースにしていることを知る必要があります。これらの衛星の中には、正確無比の原子時計が組み込まれています。最初の原子時計は1948年ころに米国立標準局で開発されました。そのシステム全体が機能するためには、1938年に物理学者のイシドール・ラビによって発見された磁気共鳴という現象が必要であったことを理解する必要があります。さらに、1905年と1915年に発表されたアルバート・アインシュタインの特殊・一般相対性理論がなければ、GPSはきちんと機能しません。原子時計と相対論を無視すれば、GPSはあなたを間違ったところへ導いてしまうでしょう。

ここまで問題ないですね。振り返って見たときにそういう具合に見えるのです。科学の歴史を振り返ってみると、私たちはみんな頭がいいんです。ここで必要なキーワードは、原子時計、磁気共鳴、相対性理論です。質問させてください。あなたはその過程を予見することができるでしょうか? 相対性理論が発表された1905年の時点で、あなたは、アインシュタインからイシドール・ラビに進み、ラビから原子時計に進み、原子時計からGPS衛星へと進み、GPS衛星があなたのGPS装置に進むということを、推測できたでしょうか?

科学技術の世界では、このような道筋というのはありえないのです。あなたのGPSが機能するために相対性理論を提唱した、というような人は存在しなかったのです。アインシュタインはそのような道筋を進むための車を運転していたわけではもちろんない。そう、このようなことを予測する方法などというのは決して存在しないのです。

美しく、そして、人によっては役立たずとも呼んだ理論 -相対性理論- が実際に数十億ドルの市場になるまでには、100年以上の歳月がかかりました。長い時間がかかるのです。相対性理論がなかったら、GPSは機能しないでしょう。でも、相対性理論は何かの問題の解決策として生まれたものではないことを指摘させてください。それは、時間と空間の性質、そして重力と宇宙に興味を持ち、それがどのようにできていて、どのように機能しているのかを理解しようとした一人の物理学者の好奇心から生まれたものなのです。この好奇心が、今日、私たちを、何気なく使っているものへと導き、生活をより良いものにしてくれているのです。

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